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2015年2月10日 (火)

岡崎京子展にでかけて

世田谷文学館にて、2015年1月24日~3月31日 開催中

特別に岡崎京子の大ファンだったというわけではない。でも、ここ数年ずっと気になっていた。
なぜ? 同世代だから? いや、それだけじゃない。
あの心の空洞をふっと見せてしまったような(それはきっと誰もがしているのだ。バイバイと言って友達や彼氏と別れて一人になったその瞬間に)少女たちの表情をずっと描いてきた彼女が、結婚して旦那さんとのラブな生活を手に入れて、一緒に散歩なんかをするような幸せを手に入れたことを、私は一読者としてとても喜んでいた。
だけど。事故のことを知ったとき。
神様は暴力的に、女性としてもクリエイターとしても、人生の一番輝いて精力的であるはずの、楽しいことも幸せな気持ちも悲しいことも辛いことも嫉妬することも諦めることも、あらゆる感情の経験値を積めるはずだった時期を、そっくりうばってしまった、と思った。
今回、展覧会に行ってみて、神様はうばっただけではない、と感じた。誰にも経験できない彼女だけの19年間を与えてしまったのだと。

とても好評で混んでいると聞いたので、平日の、すいていそうな、朝一番でもなく昼下がりのひとときでもなく、中途半端な時間を見計らってでかけた。ゆっくりじっくり観たかった。
それでも、人が次々と来ていた。キュートでおしゃれなカッコの女の子の観客が多かった。

(オバサンらしい物言いをすると)近頃の女のコの不安をいろんな所で聞く。
いい人がいたら結婚はしたいけど、仕事もおもしろいし、窮屈な思いを我慢するくらいなら別に今のままでもいいかも、なんて思うんで。でも、年とって50過ぎたりしたら、男友達もみんな相手にしてくれなくなるかな。結婚して子育てしてる友達がみんな幸せそうに見えたりすると、ああやっぱり子どもくらい産んでおけばよかったなぁ、なんて後悔するかもしれないって不安もあるし。ま、自然といい人と出会えたら、その時は結婚も考えてみるけど、ガツガツ男を探すなんてことはしたくないし、そういう自分を見せたくない。このまま独りだったら仕事にでも生きればいいか、なんてね。
こういうのを聞く度に、甘い! って思ってた。自分の人生に本気でエントリーしろよ、って。
一つのことを決めて選ぶ、ということは、その他の選択肢を潔く捨てる、ということだ。
幸せそうに見える子育て中の友人は、泣く子どもをあやしながら、大きな仕事を任されている同い年の女性を、連休の度に海外旅行に自由にでかけられる独り者を、ひっそりとうらやんで孤独な育児に滅入っているんだ。

第1希望はいちおうこっちだけど、ま、ダメだったら第2希望でもいいや。それは何も選択してないんじゃないの?
東京駅で列ができてた。記念Suicaを買うための列だって、へ~、じゃ試しに並んでみようかな、買えたらめっけもんだし、買えなかったら別にいいや。あ、やっぱりトラブルになってる、でもネットで買えるんだって、じゃ買っといてもいいかな。と同レベルに聞こえた。

やはり同年代の松田聖子は、仕事も結婚も子どもも人気もお金もセックスも、どれも捨てない、すべてをつかみとったまま離さずに生きようと実践している人だと思う。突き進む強い意志が見える。自分の選択のために、ものすごく努力して本気で生きていると思う。もちろん聖子ちゃんも捨てているものはある、ユニクロでスーパーに買い物行ったり、本屋で雑誌を立ち読みしたり、人気の屋台に並んで買い食いしたり、そんな楽しみは捨てて、自分のエントリーした生き方に邁進してる(のだと思う)。
「後家業」をもし選ぶなら、そこにもかなりの覚悟と実行力が必要だ。でもそこには、人生に本気で取り組んで選択している気配を感じる。
どっちが好きかといったら、私の答えは決まっていた。

ところが、展覧会を見ていて気づいた。
岡崎京子は、選択できない女の子も、選択して突き進む女の子も、どちらも描いている。選択できないことに気づいているけど気づかないふうの子や、とりあえずペンディングにしている子や、なんとかしなきゃと思ってるけどそのまま毎日を過ごしてる子や、選んだからにはがむしゃらに周りの迷惑かまわず行っちゃう子や。そのみんなの、日々の時間を、描いている、と思った。
好きとか嫌いという目線ではなく、そこに、あるがままに、日常の中に置いてある、と思った。だって、それが現実でしょ。選びたくなくて選んでないわけじゃない、今は選べる自信がないだけ。

20年前にすでに今のこの現状の女の子たちの不安や表情を描いてしまっていた岡崎京子にとって、ほかの誰も経験していないこの19年間が(とてつもない栄養分になって)、次にどんな花を咲かせるのか、どんな花を引っ提げて登場して私たちを驚かせるのか、その花を見たい。きっとみんな待っている。いつまでも。花が咲くのを。
最後のサプライズは、うれしいような、正直つらいような、気持ちになった。2年も練習してやっとここまでなのかと。いや、違う。これ以外の表現はない。この短い言葉にはすべてがつまっているのだ。あえて選んだこの言葉に。

ともあれ、今回の展覧会が企画され、実施されたことは、花咲く季節が近づいているのだと思って心からうれしかった。
『レアリティーズ』の京子さんの顔のアップを見た途端に、または、公式カタログ『岡崎京子 戦場のガールズライフ』のよしもとばななさんの巻頭の文章を読んだ時、涙がぽろぽろこぼれた。
平凡社、やるじゃん。
(ここまで書いてから、公式カタログの巻末に、京子さんの弟さんが書いた、この19年間の京子さんと今の京子さんのことなどが書かれてあるのに気づいた。泣けなかった。正直つらいように感じてしまったことを改めてこう目の前に出されると、本当の現実にはセンチメンタルな感情では対応できないのだ)

京子さんへの「おかえりなさい」の言葉の準備は、いつでもできている。
平成の悩める女子たちを見て、なんだよ、全然変われてないじゃん、って言うだろうか。
ラインとかスマホとかあっても、やっぱり寂しいんだね、って言ってくれるだろうか。


おまけ
喫茶どんぐりで企画展連携特別メニューのチョコセット。甘っ。
チケット売り場の売店では、ガラスの仮面ファイルが値下げされてました。

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